【盛岡本】南部藩出身、新撰組隊士の物語「壬生義士伝」

 初めまして。新米ライターまつぞのです。
 先日、当サイトに盛岡のガイドブック「盛岡本」の紹介記事が上がっていました。それに関連して、これから盛岡に関する本を「盛岡本」と勝手にラベリングし、どんどん紹介していきたいと思います。盛岡が舞台になっている小説やマンガ、盛岡出身の作家さんが書いた作品など……。あまりガチガチに定義を固めず、ゆるーくやっていければいいかなと思っています。

 さて最初の1冊は、浅田次郎さんの時代小説『壬生義士伝』(文春文庫)を取り上げます。ドラマ化や映画化もされた有名な作品ですが、宝塚歌劇で今年舞台化もされており、いままさに公演中です。そんなタイミングもあって1冊目に選んでみました。

 僕も初めて読んだ中学生時代から何度か再読していますが、年齢を重ねるたびに、読むたびに味わいが増す素晴らしい物語です。

南部藩時代の面影を伝える「盛岡城跡」

家族を養うため故郷を捨てた侍

 時代は幕末。主人公は現代の岩手県にあたる南部盛岡藩出身の新撰組隊士・吉村貫一郎。幕府軍と薩摩藩・長州藩を中心とする軍勢の争いが激化するなか、小雪がちらつく大阪の南部藩屋敷に全身傷だらけの吉村がたどり着く。そんなシーンからこの物語は始まります。

 吉村は下級武士の出ながら文武両道で、国元では武家の子息に剣術や学問を教えていたほどの俊才ですが、貧困からは抜け出せず妻子を養う銭を得るためやむなく脱藩。江戸での浪人生活を経て新撰組の隊士募集に応じ、幕末の京に赴きます。

 北辰一刀流という当時メジャーな剣術流派の免許皆伝者でもあった吉村は、新撰組で剣術師範や諸士調役監察(一般企業でいう監査みたいなものでしょうか。密偵などの役割もあったようです)といった要職も務めています。とはいえ池田屋事件などでも有名な新撰組ですから、吉村も幕末の京で多くの修羅場をくぐり、「人斬り貫一」の異名が轟くほど手練れの剣客として描かれます。

 ちょっと脱線しますが、皆さんは新撰組にどんなイメージを持っていますか? 一昔前は「人斬り集団」というイメージが強かったようですが、最近はそうした印象は薄まりつつあるような気がします。アラサーまっただ中の僕は、大河ドラマ『新撰組!』やマンガ『るろうに剣心』あたりの印象が強い。浅葱色の羽織袴を身にまとい、夜な夜な京都市中を巡回。不逞浪士が会合している場に踏み込み、「ご用改めである!」と叫びながら抜刀して切り込んでいく。もしくは「悪・即・斬」で牙突どーん。

 「るろ剣」がなければ、三番隊組長である斎藤一のイメージは現在とはずいぶん違っていたでしょうね。最近、幻だった「北海道編」が続編として連載されており、斎藤一はもちろんなんと二番隊組長だった永倉新八も登場しているのでファンとしては続きが楽しみです。

吉村が貫ぬきたかった義とは

 『壬生義士伝』に話を戻します。ざっくり説明すると、新撰組は混迷を深める京の治安維持のため活動していた集団で、ただ闇雲に人を斬っていたわけではないんです。確かに前述のような修羅場もあったし、いわゆる士道にもとる行為をした隊士の切腹も頻繁にあったようなんですが。

 吉村はそんな組織に在籍していて、しかも沖田総司や永倉、斎藤ら幹部も認める実力者だった。それが戦争の結果、ボロボロになりかつて仕えていた南部藩の屋敷にたどり着く。

 彼がなぜ南部藩屋敷に赴いたと思います? 簡単に言うと「復職させてほしい」と願い出たんです。追い詰められ、なりふり構わず。その結果、吉村に言い渡されたのは「恥知らず。切腹せよ」との非情な言葉。そして『壬生義士伝』の物語が始まります。すみません、実はここまでが記事の導入なんです。長かったー。

 これは明言してしまいますが、吉村はその場で切腹して死にます。『壬生義士伝』は切腹を言い渡され南部藩屋敷の一室に通された吉村自身の死ぬまでの回想と、時は流れて大正の時代、とある人物が吉村を取材するため関係者のもとを訪ね歩くパートが交互に挟まれて展開していきます。その人物は吉村の南部藩時代の関係者や新撰組時代の同僚を訪ねて、少しずつ吉村と、その家族のエピソードを明らかにしていきます。

 そして同時進行で、いままさに死へと向かう吉村が心情を吐露していく。国元に残してきた家族への愛。かけがえのない友との友情。壬生の狼と呼ばれさげすまれた新撰組の中にあって、吉村が貫きたかった義について。

関係者たちが語る、人間・吉村

 浅田次郎さんは「語りの技法」にとても長けている作家さんです。登場人物に一人称で語らせたら、右に出る者がいないんじゃないかというくらい。『壬生義士伝』では、吉村の死後にその人となりを語る人物たちの描写に、その巧みさが表れています。新撰組時代の同僚たち、南部藩時代の教え子、あと「るろ剣」で牙突を使っていた人、とか。

 彼らが臨場感と情感たっぷりに、吉村との思い出やそれぞれの視点から見た吉村の人物像について語っていく。子供たちを指導する立派な先生であり、誰よりも妻子を愛したよき家庭人であり、時に意地汚いほどの守銭奴であり、幕末の京都で刀を振るった人斬りでもある吉村の多面的な生き様を。

 この作品を「盛岡本」として読んだとき、盛岡に関係のある人なら、きっと吉村の訛りや盛岡時代のエピソードに親しみがわくんじゃないでしょうか。盛岡出身者も何人か語り手として登場するので、中津川や雫石などゆかりの地名も頻出します。そしてみんな、しっかり盛岡の訛りで喋っています。分かりやすいところでは「じゃじゃじゃ」とか。特に「おもさげながんす」=「申し訳ありません」という言葉はこの作品のキーワードです。盛岡出身者や関係者ならきっとにやりとしてしまうはず。

吉村が愛した優しい盛岡のまち

優しく美しいまち、盛岡の魅力

 盛岡の美しく瑞々しい情景描写も見所のひとつ。以下は戊辰戦争での南部藩の敗戦後、盛岡で生まれ育った若者が故郷を去り上京しようとする場面からの引用です。

 “城下の甍の先には、不来方の名城と謳われた御城があり、その向こうには真白に雪を冠った岩手山がそびえておりました。
 盛岡は、そんな私にすらやさしかった。この町に生まれ、この町に育ち、そのやさしさに何ひとつ報いることなく背を向ける私に、盛岡の山河はそれでもやさしく微笑みかけてくれているようでありました。
 心おきなく行かれよ、とね。盛岡のことなど忘れて、お国のために尽くせよ、とね。
 新しい国家は私の故郷を滅ぼしてしまったのに、その故郷が私に言うのですよ。国家のお役に立て、と。
 (中略)
 誰にわかってほしいとも思わない。だが、私たちはみな、やさしい南部の声を聞いた。盛岡とは、そういう町なのですよ。”
 「よくわかる」と共感で頷きたくなります。盛岡は、優しい町です。

 この作品について語りたいことはまだまだ尽きませんが、今回はこのあたりで筆を置きたいと思います。盛岡出身の新撰組隊士・吉村貫一郎の生涯と彼が愛した家族の物語、ぜひご自身で見届けてください。

【参考図書】
壬生義士伝(みぶぎしでん)
著者:浅田次郎
レーベル:文春文庫

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